2022.07.02 戦前の幻「第二山手線」の痕跡が“明大前だけ”に残っているワケ 井の頭線の妙に長い橋の秘密

 東京で1920年代半ば、山手線の外側をぐるりと回る通称「第二の山手線」と呼ばれた私鉄路線が、実現に向けて動き出していました。東京山手急行電鉄による路線です。昭和初期の長引く不況や戦争など時代の波に翻弄され、事業はとん挫し、結果的にこの路線はいわゆる未成線となりました。しかし今もその痕跡はわずかですが残されています。

【計画地図】東京山手急行電鉄のルート

 鉄道好きにとっては比較的よく知られた遺構として、京王井の頭線の明大前駅(東京都世田谷区)付近にある人道橋が挙げられます。この橋の下には複々線分の軌道スペースが確保されていますが、使用されているのは、井の頭線が通る西側の複線分だけで、東側の複線分にはレールが敷かれていません。本来はこの複線分に東京山手急行線が通るはずでした。

 東京山手急行線と井の頭線とは、現在の明大前駅で交差する計画でした。井の頭線は1933(昭和8)年、帝都電鉄により渋谷~井之頭公園(現・井の頭公園)間が開業し、翌年に吉祥寺まで延伸しました。この帝都電鉄という会社は、東京山手急行電鉄が現在の井の頭線の免許を持っていた渋谷急行電気鉄道を合併し社名変更したもので、帝都電鉄の当時の社長は、小田原急行鉄道(現・小田急電鉄)の社長でもあった利光鶴松です。

 要は当時、東京山手急行線と井の頭線は同じ会社の路線で、さらにいえば、井の頭線は京王線とは別会社で、小田急線と同系列といえる会社でした。そのため明大前駅付近での井の頭線工事にあたって、後に東京山手急行線と交差し乗り換え駅になることを見越し、付近の工事が行われたわけです。