新型コロナ禍の中で迎える阪神・淡路大震災26年、改めて感じる過密都市の怖さ

兵庫県南部地震(災害名は阪神・淡路大震災)から26年が経ちます。1995年1月17日の未明、午前5時46分に、明石海峡の地下16kmを震源とするM7.3の地震が発生しました。六甲断層系と野島断層が活動した地震で、淡路島から阪神地域にわたって50程度の震源断層が最大数mずれ、阪神地域に強烈な揺れが襲いました。

 当時は、震度は人間の体感で測られており、震度6と震度7を区別することが難しいため、震度7は現地の被害調査に基づいて家屋倒壊率30%を目安に定めることになっていました。このため、観測史上初めての震度7が公表されたのは地震発生3日後でした。神戸市、芦屋市、西宮市、宝塚市、北淡町、一宮町、津名町の帯状の地域が震度7となり、震災の帯と呼ばれました。

 激震地域の震度情報の遅れは、初動対応にも影響を与えました。このため、震災後、震度観測が体感から地震計による計測に代わり、震度7まで即時発表できるようになりました。さらに200程度だった震度観測点が現在では4000を超すようになりました。この結果、内陸の地震では震源近くで観測できるようになり、最大震度が1程度大きく評価されるようになりました。

 また、国の危機管理能力を高めるため、政府に、内閣危機管理監や危機管理専門チーム、24時間体制の内閣情報集約センター、官邸危機管理センター、緊急参集体制などが整備されました。

Yahoo!ニュースより
https://news.yahoo.co.jp/byline/fukuwanobuo/20210117-00217905/